「防災情報新聞」に先日の四川訪問を含めたパンダタオルプロジェクトについての記事が載りました。RSYスタッフとして僕の名前と顔もちらっと。
NPO法人レスキューストックヤード パンダタオルで中国の被災地支援
この防災情報新聞、恥ずかしながらフリーになるまで知らなかったのですが阪神・淡路大震災をきっかけに1997年(僕が古巣に入社した年)に創刊。自治体を中心に45、000部を発行し、99年には発行元がNPO法人の認証を受け、昨年からは紙媒体からウェブに完全移行したそうです。有料版も書き分けているなど実験的だしクオリティーも(まだまだの部分も見受けられるけど)高い。僕が考えているメディア像の大きなヒントになりそうです。
NPO法人レスキューストックヤード パンダタオルで中国の被災地支援
この防災情報新聞、恥ずかしながらフリーになるまで知らなかったのですが阪神・淡路大震災をきっかけに1997年(僕が古巣に入社した年)に創刊。自治体を中心に45、000部を発行し、99年には発行元がNPO法人の認証を受け、昨年からは紙媒体からウェブに完全移行したそうです。有料版も書き分けているなど実験的だしクオリティーも(まだまだの部分も見受けられるけど)高い。僕が考えているメディア像の大きなヒントになりそうです。
すごいぞヒデキマツイ。元石川県在住者としてもベリープラウドです(ルー大柴風)。“G”もやるじゃないか。久々にスポーツの感動を満喫した一日。僕もがんばんなきゃなーと筋トレ、雑用、アポ取り、息子、娘のお迎えなど。
きのうの飲み会のアルコールがやや残ってしんどかったけど、午後からGプロジェクトの打ち合わせ。先方の考え方とのギャップがなかなか埋まらず、ストレスがたまります。でももうあまりダラダラはやれないので今月はかなりペースアップ。中旬にまた東京出張入れます。野球の“G”は負けてタイですか。
名古屋国際センターで先日の四川訪問の報告会。30人ほどで現地の写真をスライドで映しながらわいわいやりました。たまたま来日されていた中国・清華大学の先生もこの名古屋の取り組みを非常に評価してくれ、日中双方でもっと互いに勉強しあうこと、そしてこれまでの四川支援から僕ら日本人が発見したこと、つまり農村のコミュニティーや助け合いなどを、今度は日本の被災地に伝えてほしいと言われました。来年3月に再び名古屋から誰かが現地を訪問をすることになっています。終了後の飲み会も盛り上がり、ちと飲み過ぎました。
河村市長記者会見。先週は中国に行っていたので2週間ぶり3回目の参加、ただしオブザーバー。会見の中心は議会の解散もにらんだ市長と議会の全面対決の行方。とにかくこのガチンコ勝負が収まらない限りは物事が動きそうにない。ただしこちらは待ってられないので動くことは動く。その後ようやく開かれた名古屋市政記者クラブ総会に初参加し、以下の3点を要望しました。
1.市長定例会見への質問権を伴う正式参加
2.加盟社が参加する会見に準じた取材(公開討論会など)への自由参加
3.上記2点が認められるメディアの基準の設定(外務省基準参照)
これは必ずしもクラブの正式会員になることを求めてはいません。よって「準会員」的な新たな規約を設けることも含めて検討してもらうことにしました。こちらも“ガチンコ”は求めていませんし、各社とも非常に好意的だったのがありがたかったです。次回の総会まで各社で持ち帰って検討し、幹事社に素案を示していただくことになりました。
1.市長定例会見への質問権を伴う正式参加
2.加盟社が参加する会見に準じた取材(公開討論会など)への自由参加
3.上記2点が認められるメディアの基準の設定(外務省基準参照)
これは必ずしもクラブの正式会員になることを求めてはいません。よって「準会員」的な新たな規約を設けることも含めて検討してもらうことにしました。こちらも“ガチンコ”は求めていませんし、各社とも非常に好意的だったのがありがたかったです。次回の総会まで各社で持ち帰って検討し、幹事社に素案を示していただくことになりました。
いまだがれきの片付かない地域も多い四川ですが、表向きの復興は着々と進んでいます。前回紹介した北川県の壊滅した街は、近隣に新しい都市を建設し、残った住民が丸ごと移転する計画があります。現場では高層マンションと思われる建物が次々と建設されていました。

一方、すでに完全な「観光地」として再生された街もあります。この地震で何万人という犠牲者を出したチャン族の昔ながらの生活様式を紹介する一種の「テーマパーク」ができていました。もちろん、そこは中国政府の政策であり、賛否両論があるようです。NHKの震災1周年特番でも映されましたが、今回僕たちは通り過ぎただけです。

そして今回祭りのあった光明村も。まだ仮設住宅は残りますが、住宅はほぼ再建され、被災した村人が移り住んでいます。

日本の被災地でもそうですが、祭りは復興に向けて地域の団結をあらためて確認させます。子どもたちのこの笑顔に、前向きな未来を託したいです。今回の訪問、とりあえず11月3日にRSY主催で報告会を開いて報告します。


一方、すでに完全な「観光地」として再生された街もあります。この地震で何万人という犠牲者を出したチャン族の昔ながらの生活様式を紹介する一種の「テーマパーク」ができていました。もちろん、そこは中国政府の政策であり、賛否両論があるようです。NHKの震災1周年特番でも映されましたが、今回僕たちは通り過ぎただけです。

そして今回祭りのあった光明村も。まだ仮設住宅は残りますが、住宅はほぼ再建され、被災した村人が移り住んでいます。

日本の被災地でもそうですが、祭りは復興に向けて地域の団結をあらためて確認させます。子どもたちのこの笑顔に、前向きな未来を託したいです。今回の訪問、とりあえず11月3日にRSY主催で報告会を開いて報告します。

先日の四川入りで撮影した800枚ほどの写真を整理しています。昨年5月の地震発生から約1年半。被災地には生々しい傷跡がいまだに残っています。

ここは1年前にも行った北川県の中心部です。当時から封鎖された街がそのままになっていました。街全体をみおろす高台の物売りの列はなくなったと聞いていたのですが、どっこいまだ営業中。今回は望遠レンズを持って行ったので、アップで見てみます。こんなぐちゃぐちゃの街が放置されています。このまま「地震博物館」として観光地化する計画があるそうです。

しかし封鎖された“観光地”でなくても、街の周辺にはいまだにこんな光景が見られます。1年半後もいまだにがれきを片付けているんです。

仮設住宅にもまだ大勢の被災者が暮らしています。2回目の厳しい冬がやってこようとしています。


ここは1年前にも行った北川県の中心部です。当時から封鎖された街がそのままになっていました。街全体をみおろす高台の物売りの列はなくなったと聞いていたのですが、どっこいまだ営業中。今回は望遠レンズを持って行ったので、アップで見てみます。こんなぐちゃぐちゃの街が放置されています。このまま「地震博物館」として観光地化する計画があるそうです。

しかし封鎖された“観光地”でなくても、街の周辺にはいまだにこんな光景が見られます。1年半後もいまだにがれきを片付けているんです。

仮設住宅にもまだ大勢の被災者が暮らしています。2回目の厳しい冬がやってこようとしています。

朝から名古屋市西庁舎でRSY関係の打ち合わせ。来月は僕が登壇の報告会が2件。その後、本庁舎に移って市政記者クラブ。動物写真家の小原玲さんを中心とした市民ネットワークが、開発計画に揺れる相生山、平針の里山、志段味(野田農場)の3カ所を「名古屋のホットスポット」と位置付け、希少な動植物の保全を求める要望書を河村市長と市議会議長あてに提出したのを受けた記者会見に参加。河村市長と議会の対立が抜き差しならぬ状態だし、後ろに裏金問題の会見を控えていたこともあって各社の質疑応答はあっさりとしていましたが、個人的にはここ数カ月でものすごく事態が展開した気がして感慨深い。先週、四川に出発する当日にマエキタミヤコさんが朝日の「be」フロントランナーに登場し、そこにも名古屋の動きが取り上げられました。ここに自分がわずかにリンクしているのが不思議な感覚。でもまだまだ勉強不足。引き続き僕自身も取材に励みます。続いてナゴヤドーム近くの国交省中部技術事務所で開かれた「中部建設技術フェア」へ。アポをとっていた岐阜のある会社の社長と面会。次回のシリーズ生物多様性のネタとして手応え十分。


